エディ、あるいはアシュリー
キム・ソンジュン
古川綾子 訳
亜紀書房
いまを生きる人たちに、生きるヒントを教えてくれるご本です!!
たとえば、ある日から時間が進まなくなり地球上の生き物が永遠に生きることになる。精神的にまいったのか、いいえ! なのに、庭の木が動いている? ある女性が、おとぎ話の国に舞い込む。このご本は荒唐無稽を語るのでしょうか?
すべてのお話は、しっかりといま、という時代に根を生やしております。それぞれのお話の主人公たちは、さまざまなその人らしい悩みを抱えているとはいえ、ぼくらと変わらない現代人です。彼らはそれぞれに異界へと誘われます。それは、先に言ったようにとんでもないあべこべなせかいだったり、小さな子にとっての大人の世界だったりします。このご本はそんな異界へと旅立つことにより成長する人たちが語られております。ときに、自分にもこんな時代があったと郷愁を誘い、ときに、まずは先に失われる生命のことを語る、いま、を生きる人の人生にちょっぴりヒントをくれる!!さて、作者、キム・ソンジュンさんは、どのような結末を用意してくれたのか……。
あらすじ
短編八つのなかのふたつを簡単なご紹介をします
「レオニー」
双子で妹の6歳のレオニー。兄はペドロ。家族みんなで、はじめて飛行機に乗って外国のおばあちゃんのお家へ。そこは、大家族の、大勢の血族たちのあつまるお祭りのような状態でした。
レオニーは大人たちの色々な「仕事や異性や家族や」の「関係」をまのあたりにすることになり、それをしっかり理解できないまでも心に引っ掛かります。彼女は、直接言葉にされずとも、おばあちゃんのお家で、人生というものを勉強していたのです。
『はじめて会った人たちは、たいていわたしよりもペドロのほうを好きになります。なぜでしょう? わたしのほうが話すのが上手だし手がかからないのに、いつもペドロのほうが人気があるんです』。
そんな疑問も、ここで経験したことが、いつか答えをくれるのかもしれません。ただ、お祭りのようなこの家での記憶は、彼女の中にずっと残るのでした。
《ささる言葉》
その夜が教えてくれたのは、世界は広く、その大いなる世界に私の知っている人たちがいるという事実です。それはたくさんの勇気を与えてくれます。
(「エデイ、あるいはアシュリー」より引用)
レオニーは孤独になるたびに、
このお家でのことを思い出すそうです!!
「へその唇、噛みつく歯」
女は、喋れなくなった。けれども声は出る。え? おへそが話しているの?
いつもつまらないものばかりが手に入った。いや、何も手に入らなかった、そういう人生。
おへそが話し始めて、夜のお酒を飲むお仕事に客がついた。たくさん。珍しいので人気が出たのだ。はじめて人生は成功した?
声がお腹からしかでなくたって、恋人ができます。そして、彼を「噛みたい」と思う。なぜなら暴力的な父親が一度だけ優しくしてくれたこと、それが小さなときにその腕を噛むままにさせてくれたことだから。愛を感じたい!噛ませて!!
恋人は逃げていきます。
この世界からいなくなればいいのかな。その結論に行き当たる。「場所」を探しているとき、森の中で、一本のちょうど良い木に出会いました。いきなり、君がそれをすると私の枝が折れる、木はそう語りかけてきました。彼も口ではないところから話せる!! そうして女は、木のそばに家を建てて住み着いたのです。彼との会話。癒されていく心。『完全な愛だけが病める者を完全に治療する』。以前はそう思っていた。たぶん違う。その答えは……、ぜひお読みください。
《ささる言葉》
あんたは弱すぎるの。あんたが弱そうに振る舞うから、相手は自然と強者になっちゃうんだってば。人間は強い立場になるとね、必ず横暴な真似をしたくなるんだから。
(「エディ、あるいはアシュリー」より引用)
その強者こそ弱すぎる人でしょう!
そして、ぼくたちに、そのような人たちの劣等感を
満たしてあげる必要はないはずです!!
全編を読んでの総括
誰もがどこか弱い、それを示すように、登場人物たちにはそれぞれの儚いところがあります。主人公たちは、それを、人生という道行で(ある時期を異界に身を置くことで)、跳ね飛ばすこと、慣れること、問題としないこと、を学びます。それは、どちらかといえば喪失のような悲しみをともなう、寂しいことでもありましたが、人生は、増えていくものだけからできているわけではありません。だから、たぶんこのご本の中の物語たちは、たとえ突拍子もない世界を描いていたとしても、そこで語られる人間たちは真実の人間であるのです。
作者のキム・ソンジュンさんは1975年生まれ。
2008年に作家デビューを果たしたそうです!!
そしてその感性はとても若い。
ジェンダーフリー、エイジフリーに楽しめるご本です!!