ペトルーニャに祝福を
テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ 監督
prime video
世の中にはさまざまな依存があります。
お酒やタバコや性的な快楽や。また、人そのものに依存してしまうこともあります。
この映画の主人公ペトルーニャは、自分を預けられる象徴を手にします。それがあれば、生きていけるようなもの。
たとえば恋人が、たとえばお守りが、あなたの生きることを支えてくれることもあるでしょう。恋人が離れたとき、お守りを家に置いて外出してしまったとき、
もろく精神が崩れてしまうなら、あなたは、まだ、一人で生きていないのです。
ペトルーニャはどうしたでしょうか。
あらすじ
ペトルーニャは32歳。未婚。無職。それが彼女自身に重くのしかかっています。いまは、大学で歴史を勉強していたことだけが彼女のアイデンティティのようです。
今日も面接に臨むと、その会社の社長に外見がパッとしないことをディスられるのでした。
釈然としないまま、帰っていると、ある宗教行事にかちあたります。
川に投げ込まれた木製の十字架を取ればその一年は幸運なのだと。
彼女はそれをとった。参加していた男たちは怒り狂う。それは、男たちにだけ許された儀式だったのです。
その行事に、あるテレビの女性レポーターが取材に来ていました。そして同じ女性が十字架を取ったことに、「肯定的な思い」を持ちました。
なぜ、男性だけに「幸運」を得られるチャンスがあるの? 彼女は、ペトルーニャに取材をしようと決意します。
ペトルーニャは警察に連行されていました。秩序を乱したからです。しかし、逮捕されたわけではありません。十字架を女性が取ってはいけないのは、慣習であり法律ではないのです。
ただ、神父に十字架を返せばいい。それだけのことではあります。しかし、ペトルーニャは納得しません。
そのうちに行事に参加した男たちがやってくる。口汚く彼女を罵ります。
釈放されかけますが、その男たちが危険なため、警察署に篭らねばなりません。
そこの一人の警官が、ペトルーニャに優しくしてくれます。手に触れてくれたり、寒いだろうと上着をかけてくれたり。
ところで、あのテレビのレポーターは何度もペトルーニャに取材をしますが、フェミニズム的な主張をするわけでもない彼女を、それをする英雄にしたいようでした。しかし彼女は、他にも街の人たちにも取材をするのですが、一見素朴な言葉の中に潜んでいる男尊女卑的な価値観を抉り出していきます。ただ、それは彼女の戦いであり、ペトルーニャの戦いではなかったようです。
そして、警察署に群がる男たちは逮捕され、ペトルーニャは、やっと家に帰れます。彼女は何かを貫き通した。フェミニズムだろうか? そこにも繋がると思いますが、たぶん、社会で生きる力を持つことの実感を得たのだと思う。自分は生きていいのだと。
語りのミニシアター
ペトルーニャさんは、
お母さんを憎んでいたようですね。
何かと自分の人生を操ってくるような。
7歳のときの歌のコンクールでの優勝は
母親が根回しし、
今回の面接では心配だからと
もういい歳の彼女に途中までついていき、
子供にするようなアドバイスをするのです。
親と離れられたときに、
はじめて人生が自分らしくなる
という場合があるわね。
ペトルーニャはでも働いていないから、
家を出るわけにはいけないわ。
それは、
日本でも起こっている
悲劇のようにも思いました。
親の愛し方の食い違いで精神的に大人になれなくて、
そこから逃げればどうにかなるにしても、
そもそも独り立ちする資金も得られない。
でも、ペトルーニャは、
母親を受け入れていると言ったわ。
たとえ、問題を抱える親子で家に
一緒にいなくてはいけないのでも、
決意さえあれば、その、
「うまくいかなくさせるくびき」から、脱出できるのよ。
この映画で、ぼくたちは
そう感じましたよね!
ただ、それにはとても強い精神力が必要ではあると思います。
親子関係でうまくいっていないとき、
お互い一緒の家に住まない、または、
相手の(親にしろ子にしろ)
そのわがままを受け止めること、が、
心を乱されないコツとも思います!!
両方をするのがいいです!!
下記より、「ペトルーニャに祝福を」のprime videoのリンクです。
ぺトルーニャに祝福をプライムビデオのアプリダウンロードはこちらから。
プライムビデオは基本無用ですが、Amazonプライムの会員になる必要があり、それには料金が発生します。
Prime Video